まずはこのフラッシュを見ていただきたい。(若干長い・・・)
「お医者センセーと少年」“http://www.xowox.com/shiraneeyo/flash/oneforall.html 2chファンサイト しらねーよ”
:ソーシャルブックマーク
白血病の解析プログラム(?)の参加協力者普及をアピールしている。
これをみて、ふと考えさせられた。
“研究とはなんのためなのか…?”
“人の生死に対する研究は必要か…?”
研究といっても 多様にある。
例えば、いわゆる基礎研究といわれる「数学」や「物理」、「化学」・・
その上に成り立つ、応用研究ともいえる「工学」
ひとの生命を救う「医学」
薬の研究をする「薬学」
遺伝子的な研究などをあつかいもする「生物学」…など。
解釈は若干ちがうかもしれないが、 多様な研究がある。
どれも人の生活を よりよくするための研究である。が、
大まかにみて、生活に関連した研究と 人の生命に関連した研究に区分してみる。
ここで、私が想うことは・・・
命の研究の是非
長生きしたい。
というのは私の本音。
というか、生けるものの本音であろう。。
ここで、自然をみわたしてみよう
自然界の生物には 必ずといっていいほど“天敵”が存在する。
“天から与えられた敵”によって、生物は増えすぎず均衡をたもっている。
しかし、
おそらく、人間には天敵は存在しない。
ゆえに、
地球上で繁殖し続ける
人の唯一の天敵は“病”なのではないかと おもう。
病を克服するための研究。
ひつようなことだ。 私だって、死にたくない。
しかし、
病の研究、
それは
ひとの エゴ なのではないのか・・?
もし
仮に、ひとがすべての病を克服できたとして、
そのさきに なにを望むのだろう。。
生きたい
ひたすらにそう思う。。
そのための研究。。。
わたしたちは、なんのためにいきるのか、
なぜ神さまは 死を与えたのか、
病を克服したとき、
もっといえば、死を克服したとき、
ひとは なにを望むのだろう...
----広告---------------- :役にたったらクリックお願いします :ソーシャルブックマーク